イラク統治評議会(マジュリス=ル=フクム=ル=イラーキー)は、対米戦争後のイラクの暫定統治を行なったイラク人による初の機関。
アメリカ軍の占領下において、新政府が樹立されるまでの統治や大臣・大使の任命、新憲法制定などを行なった。

ヒエラルキー上は連合国暫定当局(CPA)の下部組織にあたり、CPAの指示・指導に基づき、立法と行政を行う。形式的には、立法権・行政権があるとされるが、事実上、新政府が樹立されるまでの間の連合軍(実質米軍)による間接統治の形態といえる。

メンバーはイラクの反サッダーム・フセイン体制派であったさまざまな民族・宗派からなる25名の代表から組織された。
イスラム教シーア派のアラブ人13名が過半数を占めるが、少数派のスンナ派アラブ人5名・クルド人5名・トルクメン人1名・キリスト教徒のアッシリア人1名も含まれる
2003年3月19日 対米戦争勃発、翌日地上軍侵攻。
2004年6月2日 暫定政権が発足し、統治評議会は解散。